モコとヒーリングについて

      2016/03/24

鎌倉

ナマケモノでも、腐らずに、発酵してきたつもりです

わたしがなぜ癒しに興味をもったのか、ライフワークにしているのかを、少しでも知っていただけるように、長文ですがお話させていただきます。

 

「人と同じように生きられなかった半世紀のおかげです」

 

 

⚫️かれこれ生まれて半世紀が経ちました。

 

「25歳で結婚して子供がふたり、そろそろ子供も独立するころだし、老後のこと考えなきゃな。夫の定年後は、旅行三昧でもして健康で長生きしたいなぁ。」

実は、そういう人生、生きてきませんでした。

バツイチでもなく、シングルマザーでもなく。

一人で自由気ままに生きてきたとは言えるかもしれません。

「人と同じレールに乗って生きていく。」のが当たり前、というような価値観が蔓延している時代を過ごしてきました。

両親もそれを期待するし、それを外れると、世間からも負け組と言われて、とてもみじめな感じがする・・・。

はたして、この生き方は、自分にとって幸せな人生なのであろうか??

小さいころから疑問に感じてはいました。

勉強で競争して、いい学校に行って、いい会社に入って、玉の輿を見つけて、結婚して。

まずは、それが第一の目標。

高度成長期でもあり、バブルの時代だったからでしょうか、それがかっこよくて、ステイタスみたいな空気感があふれていました。

自分が目指すものとは、なんだか違うかなと思いながらも、常識的価値観の両親にも心配をかけたくなかったので、真面目に学校に通い、不良になる勇気もなく、無難に生きていた学生時代だったと思います。

もし学校で、人生のためになる宇宙の法則とかを教えてくれていれば、生きるのが楽になったし、自分の使命にもっと早く気付けたのかもしれないって思いますね。

 

⚫️自己否定感から脱却できず、心と体と魂のアンバランスな生活。

 

大学で東京に出てきてからは、精神世界の本がたくさん本屋さんにあったので、大好きでよく読みました。ちょっとあやしい世界という雰囲気がまだありましたね。

シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」で、魂の生まれ変わりのことが書いてあって、つらくても生きることの意味を知って、救われたのを覚えています。

他人と自分を比較して、自分を否定的にみてしまうクセがありました。自己否定が強すぎて、自分がつらいと思う人生を引き寄せて体験していたんだと思います。今思えば、全て自分が作り上げていたこと。自分の思い一つで楽しい人生になるってこと、全く知らなかったですね。

女子大生になったものの、当時流行っていた「JJ」とかの服装はしなかったです。みんな一緒の髪型で同じような服とバッグというのは、正直、馴染めませんでした。「田舎者でごわす」というのも嫌なので、自分なりの個性派おしゃれを目指し、パーマをかけたりして、謎の中国人のおばさんみたいなヘアスタイルに、母のお古のコートとか着て、通学してました。女子大生ブームにのれない、変わった人でした。

当時から、自分を変えたいコンプレックスもあって、何か人に認めてもらいたい願望から、演劇をやりたいという意識はありました。正統派に興味はなかったものの、とはいっても、アングラに深入りする勇気はなかったかな。

「無気力爆発』な人生でしたが、卒業後は証券会社に就職して、芝居の勉強をするためのお金を貯めて、ミュージカルアクションコメディの劇団に入ることができました。はじめて自分で積極的に行動して、掴んだ夢って感じでしたね。

暗い性格と自分では思っていましたが、何かすることで、人が笑ってくれることは、小さいころからとてもうれしいことでした。唯一のコミュニケーション能力として生まれながらに備わっていたのが、笑わせることだったかもしれません。それにより、他人との距離が近くなる感覚がすごくうれしかったです。

劇団員になってからは、これから本当の自分を表現して、みんなに認めてもらえるんだ〜と思ってたのですが、それは本当の自分じゃなかったんですね。だんだん真の自分とのギャップを感じ、芝居の世界とは距離をおくことに。自分のコンプレックスとの戦いと、エゴとでいっぱいいっぱいで、感動を与えることや、周りの人たちへの感謝、お客様への感謝など、大切にしなければならないことに、全く気づけていなかった。恥ずかしいけど、それがその時の精一杯の自分ですね。

小さいころから消極的だった私に、父はもっと積極性を身につけなさいと教えてくれてました。父は私のことを思って言ってくれていたことだったんですが、知らず知らずのうちに自分にとってはトラウマになっていたんですね。みんなに好かれる明るい人気者にならなきゃって。繊細で控えめって褒めてくれてたら、もっと自分を肯定し、自信をもって自分を表現できたのかなって思うこともあります。

 

⚫️一人一人が違う生き方でいいんだ。

 

それからも、自分が本当にやりたいことがわからず、試行錯誤していました。

兄が広告制作の会社を作ったばかりだったので、とりあえずバイトして、でも兄弟ゲンカがたえなかったですね。10歳離れた兄だったんで、父親がわりのようにいろいろ言われることが多くて、未熟だった自分にとっては、試練でしたね。

自立をしなくてはと考えていた時に、ちょうど友人に求人広告の出版会社を紹介していただき、印刷媒体のコピーやデザインなどをそこで実践をかねて勉強しました。改めて感じたことは、広告だけでなく、役者もそうでしたが、自分が生み出すものは、その人以上のものはできないんだなということ。人間力がやはり大事なんだなぁと思い知らされました。

人生経験はたくさんできましたが、自分が変わることがなかなかできず、かといって、自分を見つめ直す時間から逃げて、お酒を飲んで自分を忘れて。いつも同じ悩みや問題をぐるぐるまわって、結局解決できてない自分がいました。

「いいかげんにかわりなさい」

そう神様がおっしゃったんですね、きっと。元気だった最愛の母が、突然亡くなってしまったのです。突然のことで動揺し、いつまでも悲しみを引きずってましたね。人の手をかりなければ立ち直れなかった。そんな時にヒーリングを受けたんです。

そこから自分を見つめる時間が始まりました。自己ヒーリングのワークショップを受けたり、過去生を知るために退行催眠を受けたり。潜在意識に気づき、癒し、自分が変わることで、周りの人の態度も変わり、起こる事象も変わりだしたんです。人を批判ばかりして、他人のせいばかりしていた自分が恥ずかしい、けど許し、変容していきました。

自分がかわれば、波動もかわる。人生が好転してくる。

そして他人の良いところを素直に認められるようになり、それぞれの個性を大切にできる。

自分の欠点も認めてあげることこそ、他人の全てを丸ごと認めることができる。

一人一人が違ってて、当たり前だし、それでいいんだと。

No. 1を目指すではなく、オンリーワンを認め合うことが大切なんだと、確信できました。

 

⚫️愛と調和の人生を歩んでいきます。

 

自分を救ってくれたヒーリングの世界。それを今度は人のために自分が行いたい。

自分のやりたいことが見つかりました。やっとです。

肩もみが得意だった自分を思い出し、まずはボディワークでの癒しを勉強することにしました。ハワイのスピリチュアルなボディワークの「ロミロミ」です。宇宙エネルギーを、自分が媒体となって、お客様へとおして、ゆるめていく。つねに全ての存在に感謝の気持ちがあるハワイで古くから伝わる施術です。

ロミロミをとおして、さまざまなヒーリングと出会い、人々とつながり、自分というものを理解しはじめました。

ここまで生きてこれたこと、両親や家族をはじめ、どれだけの人たちにお世話になり、守られ、助けられてきたのかを身にしみて感じ、これまでの人生に関わってくれた人々に感謝してもしきれないくらいの思いがこみ上げてきました。

 

自分を許し、愛することからはじめよう。

 

否定していた自分を、肯定し、どれだけ自分が愛されてきたかを再確認し、このままの自分を本当に好きになることができました。アタマで理解していただけで、お腹におとせていなかったこと。しっかりと腹にすえることができました。

これからがスタートです。やっと自分のライフワークを実践していけるタイミングになったと思っています。

わたしの半世紀は、自然体になるために必要な時間でした。もっともっと軽い波動になって、自分を愛し、まわりの全てを愛し、ユーモアと感謝の気持ちを大切にした「愛と調和」の世界にこれから生きていきたいと思っています。

 

 

 - セラピスト